2005年6月8日(水)
◆2005年沖縄平和行動に参加しました!

2005年5月13日〜15日の日程で、沖縄労組主催、全労金後援で「第18回沖縄平和行動」が開催され、中央労金労組からは10名が参加しました。また、全国から北は北海道、南は地元沖縄まで全単組が組合員を派遣し、75名が参加しました。
 1日目は、前段集会を開催し、盛根沖縄労組委員長の主催者挨拶、賀数沖縄労組青年部部長の基調講演を受け、ひめゆり同窓会・宮城喜久子氏による「戦争体験を通して平和を考える」と題した講演、映画「GAMA〜月桃の花」の上映が行われました。講演ならびに映画鑑賞の時には、本土防衛のための捨石(時間稼ぎ)にされた沖縄地上戦の悲惨な体験と映像を見聞きし、会場のあちこちからはすすり泣く声が聞こえてきました。夕方からは、会場のレインボーホテルにて「夕食交流会」が開催され、全国の仲間と交流を深めました。
主催者挨拶をする、沖縄労組・盛根委員長 司会、沖縄労組青年部・国仲書記長
基調提起をした、沖縄労組青年部・賀数部長 沖縄戦の悲惨さについて語る宮城さん
会場風景(会場からはすすり泣きの声が) 夕食交流会で挨拶をする、全労金・菅谷副委員長
中央労金労組から参加したメンバーたち
2日目は、沖縄中南部の基地と戦跡の視察を行いました。バスに乗って最初の目的地である「嘉数高地」に行きました。天候が悪く広大な敷地を持つ普天間基地の全容を見ることはできませんでしたが、米軍が上陸作戦を展開した海岸線を見ることができました。
また、次の目的地へ向かう途中、昨年8月に米海兵隊所属の大型輸送ヘリが墜落した沖縄国際大学を通過する際、校舎の壁に黒く焼け焦げた墜落の痕跡を見ることができました。道路から30mぐらいのあまりの近さに驚きました。
次に行った「糸数壕(アブチラガマ)」は、陸軍病院の分室として使用されていた天然の洞窟で、前日お話をいただいた宮城さんが看護学生として働いていたまさにその場所でした。ガマ(鍾乳洞)の中は、今も全く電気の設備も持たず、当時のまま保存されています。参加者は、懐中電灯を消して底なしの深い闇の世界を体験し、犠牲者の冥福を祈り、全員で黙祷をささげました。
 続いて訪れた平和祈念公園では、「韓国人慰霊塔」や沖縄戦の犠牲者の名前を刻んだ「平和の礎」を見学し、昼食後「沖縄平和祈念資料館」を見学しました。
 最後に、「ひめゆりの塔」と「ひめゆり平和祈念資料館」を訪れました。ここでは、教員になることを夢見ていた多くのひめゆり学徒の生徒たちが、なぜ、このような悲惨な体験をしなければならなかったのか怒りを覚えました。また、ひとりひとりの写真にコメントされている彼女たちの最後の瞬間を想像するとあまりの悲しさ、空しさに言葉を失いました。
米軍ヘリ墜落現場 韓国人慰霊の塔
平和の礎前にて 真剣な表情でガイドの方の話を聞く参加者たち
沖縄平和祈念資料館前にて 多くの方々が身を投げた岸壁
平和祈念資料館から見た平和の礎 ひめゆりの塔の記念碑
ひめゆり平和祈念資料館
3日目は、沖縄労組の方々と共に「平和行進」と「普天間基地包囲行動」に参加しました。午前中は北谷球場に集合し、労済労連と合同の簡単なセレモニーのあと、宜野湾市森川公園まで約10kmを歩き、途中、参加者自らがハンドマイクを握り、「反戦・平和」を訴えるシュプレヒコールを行いました。
 昼食後は「普天間基地包囲行動」を行いました。基地の周囲、約11.5kmを「人間の鎖」で包囲するのですが、本当にそんなことができるのか参加者の多くが疑心暗鬼になっていました。この日は戦後60年ということもあってか一般市民も含めて約2万3000人が参加し、見事、成功しました。この時の達成感は言葉にできないものがあり、みんな生き生きとしていました。
 この後、平和行進のゴール地点の宜野湾市海浜公園野外劇場まで歩き、「5.15県民大会」に参加し、平和行進を締めくくりました。
 この日の夜は、総括集会が行われました。各単組が舞台に上がり3日間の感想を述べました。
中央労金労組からは、甲府支部の保坂さんが代表で挨拶し、軽い気持ちで参加してしまったことの反省と、貴重な体験ができたことのお礼を、飾らず素直な言葉にまとめていました。
 今回の沖縄平和行動については、8月上旬に発行予定の「インフィニト13号」でも、参加者の声を交えながら報告する予定になっていますので、そちらも併せてご覧下さい。
全労済との合同セレモニー いざ、平和行進に出発
シュプレヒコールをする全労金・深見中執 平和な沖縄を返せ!
普天間基地包囲行動 5.15平和行進総括集会(約7500人が集まりました)
行動を共にした東部5労組のメンバー
(中央・新潟・長野・静岡・セントラル)
総括集会で中央労金労組を代表して挨拶する
甲府支部・保坂さん