『三宅島災害支援センター』立上げ <<奮闘記>>


                                                       野島 玲

 2月1日の避難解除直前の1月27日(木)〜1月31日(月)まで、三宅島帰島ボランティア先遣隊として入島しました。ボランティア拠点の立上げ準備作業をしてきましたので、簡単に報告させていただきます。
27日、連合東京上原さん(三宅島災害支援センター事務局長)を筆頭に、支援センターの坂上さん、三宅社協の方々、ボランティアなど総勢9名で、竹芝桟橋を出航し、三宅島へ向かう。船の中では、上原さんの帰島プログラムに向けた熱い思いが語られる。つねに島民の事を考えている。偉い方だ。
                  
 入島後、伊豆老人福祉館へ。ここが島での拠点となる施設。外見はきれいだったが、建物の中には、4年前の灰除去作業用の資材や島民の家財がびっしり入れられている。『おいおい、こんなたくさんの荷物、片付けられるのかよ』漠然としてしまう。ここを拠点とする為、別の所へ荷物を移し替えなければいけないのだ。そこで『俺の出番!』。私はトラック運転要員として派遣されたのだ。3.5トンのトラックを借りて来て、作業を開始した。
それにしても、普段ディスクワークで鈍った体に、肉体労働はツライ。翌日には早々に腰にきた。結局、荷物の
運び出しに3日かかってしまった。
                  
 4日目には清掃を行う。廊下はモップで拭き、60畳部屋は雑巾がけ。これも一苦労だ。この日にはようやく布団も到着し、受入れ準備がほぼ完了した。
夜は、島民の家で宿泊。商店は営業しているから、ビールを買い込んで、夜は一杯。『ふぅ〜』ボランティアとはいえ、お酒は必要だ。すると家人が4年前の焼酎を出してきた。『飲めるのか?…美味い!』。メンバーともに島の今昔を語らいながら、5名で一升瓶を空けてしまった。
                  
 最後に、島は何もかもが腐食し、また、火山ガスにやられて枯れ木が目立ち、荒涼した風景が広がっていた。ふと、ここが自分の生まれ育った町で、見慣れた町並みが、自分が住んでいた家が、自分が使っていた物が、こんな風に変わっていたら…、感慨にひたる。『私たちで出きることを少しでもお手伝いしよう』決意を新たにしました。