2004年11月22日(月)
新潟中越地震ボランティアレポート

 甚大な被害をもたらした新潟中越地震は、未だ自宅に戻れず、3週間以上不自由な避難所暮らしを余儀なくされている方々がいます。また、震源地付近の新潟労金支店役職員のみなさんは、大きな被害と余震が懸念される懸命に金庫業務をされています。
 この間職場で取り組んでいただいたカンパ金は新潟労金を通じ、被災地支援のため役立てていただくことになります。こうした資金的な支援とともに、近隣労働組合として何か取り組むことができないか、梅村委員長が現地ボランティアセンターに単身入り、ボランティア活動を行ってきました。
以下報告を掲載します。

2日目
3日目
11月12日(金)

ボランティア作業にありつけない!

 午後1時半、川口町災害ボランティアセンターに自家用車で到着。新潟県外から個人の災害支援ボランティアを受け入れている場所は、現在小千谷市と川口町のみで、全国各地から多くのボランティアの方々が集まっていました。途中、関越自動車道は小出−長岡間は一車線通行で、橋の部分で段差が生じ、所々亀裂が走っている危険な個所が多くありました。
 受付で氏名・住所・年齢・携帯電話番号を記入し、「以前にボランティアされていますか」と聞かれ、正直に「まったく初めてです」と答えました。後で分かったがボランティア保険の登録をするかどうかを尋ねたようです。
そこで「557番」という受付番号が決まり、「これに記入してください」という指示に従って、10センチ弱の長さに切ったふつうのガムテープに、受付番号と氏名を記入し、服に貼ります。これがボランティアの名札になります。

 日曜まで2泊3日の予定です、というと「じゃぁ長期ですね」と長期のボランティア案内受付に行くよう指示されました。ボランティアセンターのテント内には「看護師求む」とか「入浴介助ボランティア募集」などの「求人」が張り出されています。しかし、この20数年間労働金庫で働いてきたわたしにはそうした技能はなく、「単純作業系」「力仕事系」を探しましたが、ありませんでした。長期案内受付に行くと「今日は雨なのであまりニーズがないんですよ」とのこと。私のように失業状態のボランティアの人たちが周りにたくさんいることに気づきました。
 宿泊先・交通手段は全て自前で、ということを事前にインターネットで調べておいたのでテントを持参しました。テントが張れる場所を聞いて、とりあえず宿泊場所の確保に向かいましたが、場所はボランティアセンターから歩いて5分くらいの所に、大きな魚野川が流れていて、その河原沿いがテント場になっていました。はじめ1人用のテント場所を見つけ、1人用テントを張ろうとしましたが、急に気が変わりさらに奥に進み、大きめの場所を見つけ4〜5人用テントを張ることにしました。大きなテントで、というか1人では大きすぎる!というくらいのデカさで、後に少し後悔することになりました。
 宿泊場所を確保し、再度ボランティアセンターへ仕事を求めに行きました。しかし、「もう今日の仕事はないと思いますよ」と係の人に告げられてしまいました。ボランティアの受付が朝8時半からで、9時からその日のボランティア募集がされます。活動時間は午後4時までとなっているため、すでに午後3時を過ぎていましたのでその日は何もできず、ということになりました。求人に「ワード・エクセル使い求む・長期」というのがあり、それぞれ怪しい知識しか持ち合わせない私としてはかなり迷ったのですが、思い切って「できる範囲でならこの作業したいのですが」と受付の方に相談しました。しかし「できれば1週間くらい続けて作業が可能な方で」と言われ、結局何もできることはありませんでした。
ここが川口町ボランティアセンター
まずは受付に
これが受付の名札 いろいろな説明が手書きでかかれています
ボランティアの仕事を待つみなさん
雷雨の焼き芋ボランティア
 失意の中テントに帰り、早めの夕食(カップ麺)をとりました。しかしこんな事もあるだろうと、来る前にオプションを用意していました。それはボランティアの方々に焼き芋をあげよう、という壮大な計画です。
 早速炭火を熾し買ってきたサツマイモで焼きもづくりをしました。しかし来る途中の開店前の八百屋のおじさんが「これは焼き芋屋が買っていく芋だから」と勧めてくれた芋はかなりの大きさで、持参したダッジオーブンでは1度に2個しか焼くことができないことが判明。1回焼くのに1時間半位かかるので、ほんの少ししか作れません。焼き芋を作り始めると雨が降り出してきました。1回目の焼き上がりは、私が半分味見で食べ、もう1本はお隣の神奈川から来た男女のカップル(男性=調理師、女性=看護師)の女性に差し上げました。巨大テントのため、雨が降っても焼き芋づくり作業は継続することができ、2回目ができたのが8時過ぎ。早速ボランティアセンターに新聞紙で作った焼き芋を届けに行き、受付で話し合いをしていた若者グループに渡しました。そのころには雷雨になっていて、テントに帰ると風でテントが異様な形にゆがんでいました。大雨の中、夜中に吹き飛ばされないよう張り綱での補強作業を行う羽目になりました。何故こんな大きなテントを張ってしまったのか、と後悔した事は言うまでもありません。3回目の焼き芋づくりが終了したのは10時半になってしまいましたが、ボランティアセンターの若者に渡すと「雨の中作ってくれたんですか」ととても喜ばれたので、救われた気がしました。
 しかし、雨の中、合羽を着て突然「これ食べてよ」と熱い焼き芋を差し出す中年男性、というのはどう考えても不自然で、その後若者たちの間でどんな話がされたか、ということは考えたくもありませんでした。
たった一人なのにこんな大きなテントを! 仕入れたサツマイモ10キロ
焼き芋作成中 いい匂いがします
11月13日(土)

ついにボランティア採用!
 朝の作業募集が9時前から行われ、隣のテントの男性と最前列で待ちかまえる。「男性力仕事10名の募集です」に元気よく応募し、見事採用されました。10名の中からリーダーを決め、私の自家用車に2名同乗して救援物資の集積所に10名で行くことになりました。同乗のお二人は岐阜県から昨日車で到着し、車中泊をされた父子でした。車で15分程の高台にある運動公園内の屋内陸上競技場が物資集積所となっていて、そこには全国から届けられたあらゆる支援物資で溢れかえっていました。そこで作業をしていた方の指示に従い、荷物の仕分けや運搬作業を行いました。約2時間くらいで作業が終了し、全員でボランティアセンターに戻りました。そこで再び失業者となってしまいました。午後からの募集に期待し、いったんテントに戻り軽い昼食をとりました。
 午後12時過ぎから募集受付で待ちかまえ、30分位して遂に募集がありました。「男性力仕事で靴が汚れてもいい方」というもので、一番前に陣取っていた若者グループが猛烈なアピールをして、すぐに枠が決まってしまいました。しかし「車出せる方二人いませんか」という声がかかりすぐに応募、再び採用!もう一組は午前中一緒だった練馬区中学校教師のお二人。私の車に同乗したのは名古屋から昼前に着いた私立高校2年生の二人でした。名古屋の私立高校が合同で新潟中越地震ボランティアを募集し、バス4台約200名で参加したとのことです。ただしその日について、その日に帰るというハードスケジュールで、彼らの他の参加者で何もできず来ただけ、という事になる仲間が多いと話していました。
 午後のボランティア内容は「田麦山地区ドラム缶風呂撤去作業」。自家用車で田麦山地区避難所になっている小学校へ向かいました。田麦山地区の被害は甚大で、現在まで地区住民全員が小学校などの地区施設での避難所暮らしを余儀なくされています。少し早い時間に着いたので、避難所の担当の方から「ではまずトイレ掃除をお願いします」と指示を受け、約15カ所ある簡易トイレの掃除をみんなで行いました。掃除をしている間も住民の方が利用され、その合間を縫って急いで行います。小学校2〜3年生位の女の子2人組が来て一緒に狭い簡易トイレに入っていきました。出てから「二人で入って狭くないの」と聞くと、「仲良しだからいつも一緒なの」とかわいい答えが返ってきました。子供たちは不自由な避難所暮らしの中でも、しっかり楽しみを見つけているようです。
 その後、近々小学校校庭に仮設住宅を建設する工事が始まるため校庭にあるものを全て撤去しなければならず、校庭の端に設置したドラム缶風呂を取り壊し片づけてください、との指示を受け、メンバー6人で話し合いながら取り壊し、後かたづけをしました。作業終了後も大きなゴミの整理・移動、作業具を入れる簡単な物置を作り、3時45分頃に作業を終了しました。名古屋の高校生は迎えのバスがボランティアセンターに4時に来て、そのまま名古屋に戻るというハードスケジュールでした。
その夜は、隣のテントの二人とボランティアセンターのメンバーの大学4年生の男性とで約40キロ程離れた温泉に行き、その日の汗を流しました。
2日目も雨でした 仕事のニーズがかかれています
朝の受付の様子
仕事を譲ってくれたお隣テントの佐藤さん 別のお隣さんの久野さんは市議会議員さんです
一緒に風呂に行った大学生のお兄さん(岐阜出身)
11月14日(日)

 午前のみの作業で、「男性力仕事・被害宅地下物置の荷物整理3名」という作業にありつけました。この仕事は隣のテントの男性が採用されたものを、午前のみの作業のため、私に譲ってくれたものです。
 新潟県内からその日の朝バスでボランティアに駆けつけた男性2人と共に、徒歩で被害宅に行き、依頼された男性の指示で地下(といっても1階部分=豪雪地帯のため新しい多くの家が1階部分はコンクリートの物置になっている)物置の散乱した荷物をいったん表に出し、その後再び整理して配置し直す、という作業でした。
 早めに終了したため、1階窓の「雪止め」設置作業をおこない、作業終了。ボランティアセンターに戻り、作業報告を行い私のボランティア活動も終了しました。その後テントを撤収し、夕刻自宅に戻りました。
3日目も多くの方が集まりました これから一人でテント撤収